日本とパラオ共和国の合同親善訓練が行われました
今日も、三ノ瀬れもんが海上自衛隊の活動を紹介するから読んでみてね♪
ウチの今回の注目はこれ!
日本の海上自衛隊とパラオ共和国の海上保安局で親善訓練が行われたようです。
目次
日本とパラオ共和国の合同親善訓練
令和4年3月6日にパラオ共和国の周辺海域で合同の親善訓練が実施されました。海上自衛隊からは護衛艦「いなづま」と練習艦「はたかぜ」、パラオ共和国の海上保安局の巡視船「ケダム」の3隻の部隊で参加しています。主な訓練内容としては戦術運動や通信訓練などです。
海上自衛隊の参加部隊は3月5日から6日の間にパラオ共和国のコロール港に寄港し、参加するにあたり新型コロナウイルス感染症対策を行って親善訓練に参加しました。
護衛艦「いなずま」は、むらさめ型護衛艦の5番艦で平成12年に就役した汎用護衛艦(DD)です。汎用護衛艦(DD)はさまざまな事態に対処するために作られているため、対空戦や対潜戦、対水上戦、電子戦などの戦闘に対応する武器を統合したシステム艦によって対応し、運用します。
練習艦「はたかぜ」は、はたかぜ型護衛艦の1番艦で昭和61年に就役し、令和2年に練習艦として種別が変更されました。練習艦「はたかぜ」は練習艦隊第1練習隊に所属し、広島県呉基地を母港としています。
日本とパラオ共和国の関係
日本とパラオ共和国の関係についてご紹介します。第一次世界大戦中において、元々ドイツ帝国の植民地だったところを、日本から帝国海軍を派遣し、島にいた数少ないドイツ守備隊を降伏させて占領しました。その後パリ講和会議において、日本の委任統治領となりました。
日本の委任統治において電気や水道、道路などのインフラや学校や病院、公的施設などを整備してきました。またパラオ人に近代教育が行えるようにも日本の教育制度を取り入れます。日本の委任統治時代において、今回海上自衛隊の参加部隊が寄港したコロールは近代的な街並みへと変貌してきました。
昭和8年になると日本が国際連盟に脱退するものの、パラオの委任統治は加盟諸国からも認められたため継続します。第二次世界大戦がはじまると、コロールが海軍の重要な基地でもあったため連合国軍の攻撃対象になりました。昭和19年のペリリューの戦いにおいて、日本軍とアメリカ軍との戦闘になり、アメリカ軍に大きな損害を与えるものの日本が負けてしまいます。この戦いにおいて日本軍の戦死者は多く、パラオ人の死者はほとんどありませんでした。
ここまで三ノ瀬れもんが紹介してきました。
それでは、またお会いしましょう!
また次も紹介していくので読んでくれよぉ~